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東京高等裁判所 昭和61年(う)266号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人嶋原清が差し出した控訴趣意書及び控訴趣意補充書に、これに対する答弁は、検察官長山四郎が差し出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、本件公訴に係る事実の要旨は、被告人が共犯者と共謀のうえ、車両の追突による人身事故の発生を仮装し、保険会社から自動車保険金を騙取しようとしたというもの(詐欺未遂)であるが、被告人は自動車保険金騙取の手段として行なつた仮装の追突事故につき、それが業務上過失傷害にあたるとして浦和簡易裁判所に略式起訴され、昭和六〇年三月一二日罰金一〇万円に処する旨の略式命令を受けて同命令は同月三一日確定しており、右罰金は既に納付済みである。そうすると被告人は、確定判決を経た罪と同一の事実につき再び公訴を提起されたことに帰するから、刑訴法三三七条一号により免訴とすべきであるにもかかわらず、原審が有罪の判決を言い渡したのは訴訟手続が法令に違反したものである、というのである。

そこで、原審記録を調査して検討するに、本件公訴事実の要旨は、「被告人が、交通事故を装つて自動車保険金を騙取しようと企て、下田努及び上木力と共謀のうえ、昭和六〇年一月二〇日午後八時五分ころ、埼玉県蕨市中央五丁目一八番二号先交差点において、下田が運転し上木らが同乗する普通乗用自動車の後部に、被告人運転の普通乗用自動車の前部を故意に衝突させ、被告人において、翌二一日同人運転に係る右自動車について自家用自動車保険契約を締結している大正海上火災保険株式会社の代理店山形産業株式会社に対して事故申告をし、同年二月初旬ころ、同代理店に対し、交通事故証明書を添付した自動車保険金請求書を提出し、更に下田において、右事故により頸部挫傷、むち打ち症候群の傷害を負つたとして同年一月二二日から同年四月二七日までの間関野病院に入院ないし通院して治療を受けたうえ、真実は右事故が故意に作出されたものであり、かつ、下田が昭和六〇年二月から窪添保正方において稼働した事実はないのに、同年五月二四日ころ東京都千代田区霞が関一丁目一番四号第一東京弁護士会館内において、情を知らない下田の代理人弁護士山口治夫をして、前記大正海上火災保険株式会社代理人弁護士藤広驥三に対し、右事故があたかも被告人の自動車運転中の過失により発生した事故であり、かつ、下田が、そのために当時稼働していた窪添方での勤務を同年二月から同年四月までの間休まざるを得なくなつたかの如く虚偽の事実を申し向けさせ、その間の休業補償等を含む自動車保険金一九六万九三〇〇円の支払いを要求し、右藤広らをしてその旨誤信させ、よつて同会社から金員の交付を受けてこれを騙取しようとしたが、その意図を看破されて支払いを拒否されたためその目的を遂げなかつた」というものであり、原審はこれとほぼ同旨の事実を認定して、被告人に対し懲役一年、三年間執行猶予の有罪判決を言い渡したのであるが、ところで一方、被告人は、「昭和六〇年一月二〇日午後八時五分ころ、普通乗用自動車を運転し、埼玉県蕨市中央五丁目一八番二号先道路を東京都方面から浦和市方面に向かい時速約二〇キロメートルで進行中、前方注視を怠つた過失により、信号待ちのため停止していた下田努運転の普通乗用自動車に自車を衝突させ、よつて、同人ほか二名にそれぞれ頸部挫傷等の傷害を負わせた」という業務上過失傷害の事実について、同年二月二八日浦和簡易裁判所に略式起訴され、同年三月一二日罰金一〇万円に処する旨の略式命令を受け、同命令は同月三一日確定したことが認められる。しかしながら、既に確定裁判を経た右業務上過失傷害の罪と本件詐欺未遂の罪とは、罪質・被害法益が全く異なるのみならず、犯行の日時・場所、行為の態様・相手方(被害者)など主要な犯罪の構成要素をことごとく異にするのであつて、公訴事実の同一性のないことは明らかというべきである。所論は、業務上過失傷害と詐欺未遂とは、一方の犯罪が認められるときは他方の犯罪を認め得ない関係にあるから、併合罪の関係にあるとはいえないという。しかし、一般に、自動車による人身事故を利用して自動車保険金を騙取しようとした場合、同一犯人が業務上過失傷害の主体であると同時に詐欺未遂の主体であるということは実際においてもあり得るのであつて、所論のように両罪が併存し得ない関係にあるとは必ずしもいえないのである。確かに本件公訴事実の詐欺未遂は、現実には業務上過失傷害がなかつたことを前提としたものであるのに対し、前記確定判決の犯罪事実は、右の業務上過失傷害そのものであるから、本件の場合においては、社会的にみて、両者は互いに相容れない事実関係にあるようにみられないでもないが、訴訟法上の訴因の観点からみるときは、両者は、互いに排斥し合うことなく成立し得るものと考えられる(本件のような場合であつても各罪について有罪の確定判決が併存し得ることについて、最高裁判所昭和五五年(し)第九一号同年一一月一三日第二小法廷決定・刑集三四巻六号三九六頁参照)。もとより一般に、業務上過失傷害が詐欺の手段として用いられ、あるいは業務上過失傷害の当然の結果として詐欺が行われるという関係にあるともいえないから、両罪が刑法五四条一項後段の牽連犯の関係にあるという所論も採り得ない。してみると、被告人に対する本件公訴は、前示確定裁判の既判力を受けるものではないから、原審が刑訴法三三七条一号により免訴の言渡しをしなかつたのは正当であつて、原判決に所論の訴訟手続の法令違反は認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官片岡 聰 裁判官横田安弘 裁判官小圷眞史)

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